店長日記

こんにちは!店長の石川です。
3人の息子の母と嫁・お米屋と毎日元気に走り回っております。
毎日の元気の源はやっぱり「おいしいご飯」ですね!!
宜しくお願い致します。

店長日記はこちら >>

メール会員登録

携帯ページ

お知らせ ※重要・お知らせ※
9月より宅配便の送料の改正によりお米は「24キロ」までとなり、送料も値上がしまして、送料無料地域でも、別途送料を追加で頂いておりましたが、追加分は割引としてサービスさせていただくことなりました。
尚、離島・沖縄は今まで通りの別途送料は頂くことになますが、今後ともよろしくお願い致します。

毎日、つきたての美味しいお米をお届けしております。
HOME»  庄内米の歴史

庄内米の歴史

 

歴史ある庄内地方での米作り

現在の山形県庄内地方で米作りが始まったのはおよそ2,200~2,300年ほど前の弥生時代中期と考えられていますが、米作りをするための田んぼが本格的に作られたのは8世紀のことです。712年に出羽国(現在の山形県・秋田県)が置かれ、開墾が始まりました。「柵戸」と呼ばれる開拓者が、庄内に訪れて荒地を田んぼへと開拓していきました。

大昔、庄内平野は「潟湖」といって、海(日本海)から切り離されてできた大きな湖でしたが、最上川が運ぶ土や砂で埋め立てられました。これが庄内平野の誕生です。

湖が埋め立てられてできた平野ですので、水はけが悪く湿った土地だったため、あちこちに沼地ができ、開拓に着することは難しかったのです。

そんな庄内平野を豊かにするために、水路の開発が始まりました。
庄内の最も古い水路は、1,384年に作られたと記録されています。その水路は現在も利用されており、1,591年には最上川の支流である相沢川からの水を引く「大町溝」が開かれました。1,612年には、最上川の支流、立谷沢川からの水路「北楯大堰」が開かれました。

これらの水路の完成により、庄内平野につぎつぎと田んぼができ、この土地で米作りを始めようとする人が集まり、多くの村が誕生したといわれています。

最上川からの豊富な水と、豊かな土、米作りに恵まれた気候の庄内平野は「日本を支える米蔵」として、全国に名を馳せました。

さらに、かの有名な豊臣秀吉が、御用米として庄内米を選んだり、1,672年の江戸の大飢饉の時には、庄内米を江戸に送り、危機を救ったと言われています。

庄内米は古くから愛されているお米のふるさと山形県庄内平野の美味しいお米です。